cuntury 5 プロローグ


 5:『千里眼の白狼』

 いつもと変わらない毎日。晴れようが雨が降ろうが自分の持ち場を守ってき
た。侵入者を追い返すというこの仕事は正直に言えば飽き飽きしている。しか
し誰かがやらなければならない。私以外にも警護する天狗は数十人は居たはず。
 仕事は別に警護をやりたかったわけではない。ただ、白狼天狗というだけで
この仕事が決まっていた。
 与えられた仕事で上下関係というものはあるが格が上だ下だと争うような事
もない天狗の社会でない。上は上で下は下だ。すでに決まっている仕事を淡々
とこなすだけ。

「椛様……イ…いや、ロの組が巡回から戻りました」

 私は先代達が去り、この仕事では上の方になっていた。部下の天狗から報告
を受けては住処へと帰らせるといった、新しく配属された部下達を教育してい
る立場になった。

「ロ…? イの組じゃないのか?」

 ロの組より早く出発したイの組が予定よりも遅い。もう間もなく更に遅れて
出発したはずのハの組が戻ってくるだろう。

「ロの組、イの組の奴等は見なかったの?」

 私の右腕となる天狗が新米の天狗たちに問う言葉が耳に入る。イ、ロ、ハと
順に送り出しているにも関わらず、一番最初に戻ったイの組が戻ってこない。
何かしらの事が起きたのは間違いないだろう。

「いえ、イの組はまだ戻らないのですか?」

 決められた経路を一組複数人で巡回し、侵入者があれば一人が先行する組へ
報告する。そして残った者で追い払う。例え追い払う事に時間が掛かろうとも
しばらく耐えしのげば後続の組が追いつき合流する。一箇所で戦闘が始まると
先発に向かった天狗が全ての組へと知らせ、その場に待機させることで陽動と
いう作戦を取ってきた侵入者への対策も万全にしていた。
 私が昔教育された方法とは違うが、この方法が最も効率よく山を警護出来て
いた。

「椛様、如何いたしますか」

 このような事が起きるのは初めてだった。

「……ロの組、疲れているかもしれないが逆に回ってくれないか」

 この者達も任務が終わり、これからどうしようかと考えていたに違いないだ
ろう。残業など誰もしたくないのは分かる。 

「分かりました」

 だが、ロの組の者達は不満な顔もせずに飛び立ってくれた。

「さすがですね、誰一人として不満なく向かいました」

 この天狗は確かに優秀だが少々癖が強い。仕事上私が立場が上になっている
が、いちいち口にしなくても良い事まで喋りだす。

「上司の指示とあれば仕方ないだろう」

 彼女が私をどのように捉えているのか、そういう事は全く分からない。尊敬
しているのか、疎ましく思っているのか正直どうでもいい。私はただ仕事をす
るだけであるし、何より今は部下となった新米達が行方不明とあればそれこそ
問題だ。彼女の事など二の次でいい。
 しかしハの組以降は無事に戻り、捜索に向かわせたロの組が逆方向に回って
戻ってきたがイの組は見つからなかった。
 私は警護役の管理職として、新兵の教育係として管理能力を問われる事とな
ったが、任務中の不慮の事故という部分が大半を占めたせいもあり現職を退く
こともなく、ただ新しく配属された若い天狗が補充されるだけとなった。

 

 

 だが、本当の問題はこの事件の後に起きた。

 

 

 守矢の巫女が他界した直後の二柱の嘆きによって荒れていた山の土地も静ま
り、また昔のように安定した社会となっていたのだが、ある日突然八坂の神が
天狗の集落へと赴いてきた時の事だ。私は案内役として八坂の神を大天狗様の
元へと案内した。

「これはぬしらの物ではないか?」

 八坂の神は、左手に持った赤く薄汚れた布を大天狗様たちの前へと投げるよ
うに置いた。雑巾と間違うほどに薄汚れたその布は一体何なのか。天狗の我々
の物だと言う八坂の神の言葉に大天狗が隣に控える烏天狗に拾うように言った。

「八坂様……これは?」

 烏天狗がその布を持ち上げると同時に小さく悲鳴を上げて取り落とした。見
覚えのある血で汚れた衣。あの日、帰らなかったイの組の者が纏っていたもの
だった。私の中に流れる血が急激に温度を下げていく。

「あ……あぁ……」

 私は膝から崩れそのまま衣を見つめたまま腰をつく。衣の裾は裂け、その口
から滲む乾いた血の痕。何故八坂の神がこの衣を手にしていたのか。

「ここに来る山中で見かけたから持ってきたが」

 八坂の神は肩をすくめ、溜息交じりにそう言った。私の脳裏にはイの組の者
達が巡回に向かった時の笑顔が映し出されている。

「これを纏っていた者の姿は無かった」

 首を振りながらそう零した。

「他の……他の者も居たはずなのですが!」

 叫ぶように神へと問う私は他の者にどう見えただろうか。僅かな時間だった
とはいえ預けられた部下を失った悲しみから叫ぶ上司の姿にでも見えたのだろ
う。ここでの出来事の後は、様々な天狗達から励まされたのを覚えている。

「……残念だがそれしか残っておらん」

 私のやり場の無い怒りと悲しみが八坂の神にも伝わったのか、八坂の神は手
を私に差し伸べてきた。

「悲しいか、悔しいか、怒れるか」

 目から溢れる涙も止まらず、ただただ差し出された八坂の神の手を握りしめ、
嗚咽を漏らす私の背を空いた手で優しく包み込んでくれる。この場に居た天狗
達の目にも涙が浮かんでいた。

「ぬしが守矢を崇めるのであれば、私もぬしの力となろう」

 八坂の神の言葉に私は声も出せず、何度も何度も頷いた。