cuntury 3 プロローグ


 3:『永遠の従者』


 守矢と紅魔の諍いは何が原因だったのか私は知らない。いつものように新しい
薬の研究と不死の娘が連れてくる人里の者の診察をしているときに患者から聞い
ただけでしかない。人里の中、そしてその上空では争いが起きないよう、ハクタ
クと人形使い、そして命蓮寺が取り仕切っているらしい。上空をたった1発の弾
が飛ぶのが確認された時、一瞬にしてその空域が圧倒的な武力をもって鎮圧され
てしまったという。それ以来、人里の中に居る限り安全が保障されていると人間
達は喜んでいた。また、人間が活動する昼の間も停戦するよう双方に呼びかけて
おり、畑仕事なども無事に終えているという。

「師匠、いま戻りました」

 薬師として弟子である月の兎“鈴仙・優曇華院・イナバ”が今日の行商を終え
て戻っていた。戸口に立つ鈴仙の後ろから差し込む夕日が今日の私がどれほど没
頭していたのか教えてくれる。
 鈴仙は部屋に入ると、その背に担いだ背負子を机に置き売れ残った薬の確認を
始めた。

「もうこんな時間なのね」

 眉間を押さえ、集中して疲れた目の疲れを癒そうとする。実際には疲労も何も
無い。あの時から永遠の命という呪いに憑かれ、老いる事も死ぬこともないこの
身体は疲れることすら忘れてしまっている。

「外の様子はどうだったの」

 ここ数年続いている戦が今どのような状態になっているのか。戦のせいで守矢
の傷付いた天狗もよく薬を求めてここにやってくる。戦が始まった当初は薬を求
める天狗は少なかった。だが、ここ最近の量は日に日に増えている。継続的に渡
す薬に加え、新たな被害が増えているという事だろう。

「今日は妖怪の山の方も回ってきたのですが……」

 鈴仙の薬を数える手が止まった。俯いた鈴仙の様子で察するに、あまりいい状
況とは言えないのだろう。

「疲弊した天狗も、傷付いた天狗も多く……話によると紅魔の門番が出て来たと
いう話が聞けました」

 紅魔の門番……紅美鈴がこれまで出てこなかったのは戦力の温存だったのだろ
うか。しかし今の紅魔に主は居ない。あの魔法使いの戦略なのか。確かにあの門
番の力があれば守矢の天狗程度は押し返すことが出来るだろう。

「なんで戦争なんて……意味の無いことを……」

 元々は月に住む鈴仙も戦から逃れるために幻想郷へ降りた兎である。平和だと
思っていた土地もまた戦となってしまったのである。

「そうね、意味なんて無いでしょうね」

 鈴仙とは違う声。永遠亭の姫“蓬莱山輝夜”が鈴仙が開けたままの戸口に立っ
ていた。姫は西の空の遠くに見える弾幕を見つめている。私と共に永遠に生きる
姫はいつも気まぐれで、長く生き過ぎたせいか巫女や黒白の魔法使いが亡き後は
刺激もなく毎日が退屈だろう。

「イナバ、貴女にはあの“意味のない”争いを止める事は出来るかしら?」

 永く仕えているがこの姫の考える事はいつも分からない。口元を綻ばせ微笑み
ながら俯いた鈴仙へ問う。

「……分かりません」

 鈴仙は目を瞑り首を振りながら答えた。決して鈴仙にこれが不可能だとは私は
思わない。だがリスクは大きく、巫女のように易々と解決する事は無理だろう。
私達が長寿とはいえ、この戦を解決するには永い時間が掛かる。

「紅魔と守矢の戦を止める方法はあるわよ」

 姫はあの戦を止める事が出来るというのか。従者である私はこの気まぐれで我
侭である姫の次の言葉を待った。
 
「あの二つの勢力を更に強い勢力で潰すの」

 姫は振り返り、光り輝き空を飛び交っていた弾幕を見上げた。弾幕を放ってい
ると思われる発生源がふと静かになる。落とされたのだろう。少しずつ、弾幕を
放つ者が落ちていく。先程と代わり今は少なくなっていた。

「あの大きな2つの勢力を止めるだけの力があるのは私達しか残ってないと思う
のよ」

 姫は肩越しに首だけ振り返ると口元を緩ませながらそう言った。現状、あの2
勢力と対等に戦えるのは私達以外に地底の妖怪達、冥界に住む姫と従者、天界に
住む仙人、そして人里を守る妖怪。まだまだ力のある勢力はあるが何故地底の妖
怪や天界の仙人が出てこないのか。彼女達の真意はまだ分からない。

「……確かに被害は増える」

 鈴仙に姫の言葉は届いているのだろうか。俯いたまま動かない。

「イナバ、貴女は貴女の考える戦の無い世界を手に入れるだけの力があるのよ」

 確かに“ごっこ”ではない本気の弾幕で勝負するのならば鈴仙はこの永遠の住
む屋敷、いや幻想郷では最適な力を持っている側の妖怪だろう。だが鈴仙も無事
では済まない。

「自分が傷付くことが怖いの?」

 姫は机の横に立ち竦む俯いた鈴仙へと近付くと、机の上に置かれた小刀を手に
取った。その小刀を鞘から抜き、その刃を姫は躊躇うことなく自らの左腕に当て
ると、そのまま横に切りつける。私はその様子を何もせず見つめた。

「……姫様!」

 左腕から流れる赤い血。鈴仙はその流れた腕に急いで手当てしようとする。し
かしその傷は徐々に閉じていく。蓬莱の薬による不老不死の力。死ぬ事を許され
ない永遠に償う大罪。

「私と永琳は不老不死。傷付いても再生する……確かに貴女と違って私達は死な
ない」

 姫は握っていた小刀を机の上に戻した。腕を伝い、滴る赤い血は姫の指から離
れ、床に落ちる前に蒸発していく。部屋に僅かに残る血の香りも次第に薄れてい
った。

「でも痛みまで無くなるわけじゃない」

 姫は鈴仙に向き直ると優しく、しかし力強く抱きしめた。そんな姫の行動に戸
惑う鈴仙。

「守矢も紅魔も……いずれどちらかが倒れる日が来る」

 淡々と話し出した姫の手は僅かに震えている。あの姫にも恐怖を感じることが
あるのだろうか。だが、姫の顔はまだ口元が緩み微笑んだままだ。

「残ったほうは、地底でもない、冥界でもない、最も近いここを攻めてくるでし
ょう……だからイナバ、私達も攻めるの」

 生き残るために攻める。決して滅ぼすというわけではない。ただ私達は穏やか
な毎日を守りたいだけ。  

「貴女が傷付くと私も永琳も辛くて悲しい」

 姫は今一度腕に力を込めて鈴仙を抱きしめた。

「だから手加減なんてしなくていい」

 

 


「あの愚かな戦を止める為に、本気の貴女で戦ってきなさい」

 

 

 

 

 

 あの日の姫の顔は忘れることが出来ない。退屈な毎日から抜け出した瞬間、楽
しみを見つけ出した瞬間の顔。だけど私は何も言えなかった。私もあの愚かな戦
を止めたいのは事実だった。別に薬を作り続けるのが大変だというわけではない。
ただ、無駄に傷付けあうという愚かな行動は許せない。

「師匠、新しい情報を手にいれました」

 あの日以来、鈴仙は行商で各地の勢力の情報を集めている。やはり紅魔の勢力
が力を増したのは門番の紅美鈴が前線に出てきていたという。その指示を出した
というのが、あの吸血鬼の妹であるフランドールというのには驚いた。彼女はレ
ミリアが去った後に当主として紅魔の椅子に座り守矢に睨みを利かせているらし
い。確かにあの狂気が服を着たような妹が睨んでいるとなれば守矢は攻めにくく、
また紅魔の兵も易々と引けないだろう。

「あの門番が館を離れて戦うとはね」

 鈴仙の話を聞いて思ったのはその一言だった。確かに門番として紅魔を守って
きていた彼女が攻めるという姿はあまり想像できない。門番として優秀だったか
と聞かれると、あの白黒の魔法使いのせいで役立たずという思いが強い上に、時
折屋敷の縁側に置かれていた新聞の情報で得た昼寝姿といったそういうイメージ
である。

「紅魔で他に強い者は居るのかしら」

 いくらあの門番が強かろうと一人ではそう上手く守矢を押し戻せないだろう。

「それなんですが……湖に居た氷精って覚えてますか」

 あの氷精が紅魔に付いたという新しい情報だった。自然界における妖精は季節
や土地の状況で力が変わってくる。しかしあの氷精だけは元々にもっている力が
強すぎる。しかしあの氷精をどのようにして手懐けたのだろうか。

「あの氷精が美鈴さんと共に攻めているようです」
「氷精……ね……」

 紅魔のバランスがおかしい。指揮を執るとは思えない者が座り、予定外の戦力
が表立って動いている。

「ふぅ……」

 紅魔の戦力が分かった所で、こちら側から攻め行くには鈴仙以外に“因幡てゐ”
が居るのだが、彼女がこの戦いに乗ってくるとは思えない。そして何より、姫の
考えが私の予想通りでは無いことを願うしかない。


 この日も日が沈むと、いつものように夜空に弾幕が広がっていた。