cuntury 2 プロローグ


 2:『紅魔の主』


 レミリアお嬢様が姿を消してどれくらいの日が流れただろう。少なくとも50
年は経つだろうか。
 メイド長が最期まで人間であることを望み、寿命も潰えた。誰もがお嬢様に血
を吸われ永遠に従者である事を望むと思っていたが彼女はそうしなかった。彼女
は何故レミリアお嬢様との別れを選んだのか。真意は分からない。
 メイド長が死に、レミリアお嬢様が姿を消してから紅魔館は大騒ぎになった。
全てを取り仕切るはずの当主とその従者を一度に失ったからだ。
 パチュリー様にレミリアお嬢様の行方を調べてもらったが、幻想郷の何処から
もその気配が無いという。しがない門番である私にはどうする事も出来なかった。
私までもが離れてしまっては館を守る者が居なくなる。

「お嬢様」

 昼の間、地下の自室で眠っておられるもう一人のお嬢様フランドール・スカー
レット様に声をかけた。

「めい…りん……?」

 眠い目を擦り夢見心地のフランドールお嬢様はゆっくりと私の名前を呼んだ。
 部屋は薄暗いがさすが吸血鬼といったところか、フランドールお嬢様は私の姿
を確認すると私に身体を預けるように抱きついてくる。数年間でフランドールお
嬢様の髪も伸びた。メイド長が居た頃に比べると本当にこの館のお嬢様かどうか
怪しんでしまうほどに涙で汚れた顔と荒れた髪が痛ましい。

「お眠りの所を申し訳ございません。」

 フランドールお嬢様は私の胸に顔を埋めたまま首を振った。

「レミリアお嬢様が館を去ってかなりの月日が過ぎました」

 レミリアお嬢様の名を聞いたフランドールお嬢様の体が一瞬強張る。レミリア
お嬢様が館から姿を消して何年が経ったのだろう。もう覚えていない。

「お姉様は……まだ戻らないの?」

 唯一の肉親であるレミリアお嬢様を失ったフランドールお嬢様の心境は図りき
れない。今も帰らぬ姉をずっと思い、待ち続けているのだろう。

「フランドールお嬢様……当主の座へとお座り下さい」

 決してフランドールお嬢様がレミリアお嬢様の跡目を継ぐというわけではない。
あくまでも旗としてフランドールお嬢様に座って頂くことによって士気を高める
のが目的だった。守るべき主の居ない軍は、その戦いに意味はなく、ただただ疲
弊し倒れていくだけだ。

「外では守矢との戦が続いています」

 守矢との争いは今に始まった事ではない。守矢の巫女が他界したと聞いてすぐ
のことだった。守矢の二柱が信仰を得るために強行手段に出てきたのだ。信仰を
巫女に委ねてきた二柱には、力を使う以外の方法が分からなかったのだろう。

「このままでは……この館も長くないでしょう」

 フランドールお嬢様の両腕に力が入る。私の胸の中で俯くフランドールお嬢様
も次に私が言う言葉が何かを分かっているだろう。

「レミリアお嬢様がお帰りになる日まで、ここを一緒に守りましょう」

 この気持ちに偽りはない。レミリアお嬢様には館の主として、フランドールお
嬢様には自由に生きてもらいたい。

「……」

 フランドールお嬢様は声には出さなかったが深く、とても深く頷いた。

 

 


 こうして私はフランドールお嬢様に当主の椅子に座って頂いた。

 

 

 フランドールお嬢様は完全に自由の身となったわけではない。パチュリー様と
何度も話し合い、フランドールお嬢様には紅魔で最後の力として座って頂く。私
はメイドの仕事を必死に覚えた。先代のメイド長に少しでも追いつけるように。
 門を守る仕事も大事である。だがフランドールお嬢様の身の回りを世話を出来
る程の妖精が館には居ない。二足の草鞋と思いつつメイドの仕事を1から覚えて
いく。
 しかしそれは易い事ではない。門を大勢の妖精に守らせる事にし、私は館の中
を守る。そうするしかなかった。

 そして今もパチュリー様とその使い魔はレミリアお嬢様の行方を捜している。

 

 

 

 

 

「……美鈴」

 ある日の事だった。フランドールお嬢様が窓の外を眺めながら私を呼ぶ。

「如何されましたか」

 フランドールは目の前に広がる弾幕を見つめていた。その夜も妖怪の山から守
矢の軍勢が霧の湖まで攻め込んでいた。少々荒っぽい所は変わらないが昔はあれ
ほど悪戯好きだった氷の妖精も今は紅魔の守備隊として果敢に戦っている。あの
妖精の力は他の妖精とは段違いである。上手く煽てて守備隊を任せる事にした。

「館を守る方法は待つだけじゃないよね」

 フランドールお嬢様は長く伸びた艶のある髪をふらりと靡かせながら私の方へ
振り返ると口角を上げて笑みを零した。その顔を見て私の背に悪寒が走る。

「え、えぇ……ですが」
「攻めるのよ!」

 私が止めるのは分かっていたのだろう。フランドールお嬢様が私の言葉を遮る。

「日に日に紅魔の土地が少しずつ奪われているのよ」

 妖精の再生が間に合わず守矢の勢力が霧の湖の畔まで来ているのは私も知って
いる。中立である人里の周りのほとんどを守矢に占拠され、パチュリー様の紅茶
を仕入れるのも骨が折れるのは確かだ。

「このままだとレミリアお姉様が帰ってきた時に悲しむと思うの」

 今も帰らぬレミリアお嬢様を待つフランドールお嬢様の気持ちも分かる。だが
疲弊した妖精も多く、今は絶対的な数が少ない。

「だから……美鈴、私の事はもういいの」

 フランドールお嬢様が何を言おうとしているのか分からない。

「私、自分の事は自分で出来るように頑張る」

 身の周りの事を全て私が現メイド長として取り仕切ってた。先代メイド長のよ
うに一瞬で済ませることなど出来やしない。だが、私なりに一生懸命尽くしてき
た。逆を言えばフランドールお嬢様は私が居ない状態では何も出来ないかもしれ
ない。

「で、ですが」
「私は私に出来ることをする」

 フランドールお嬢様は自ら前線に立ちたいだろう。お嬢様が持つ圧倒的な力を
もって攻め入れば守矢の軍勢など容易く引かせる事が出来るだ。しかし主がやる
べきことは他にもある。この館を守ることだ。如何に力があろうとも、本拠地で
あるこの館を奪われては意味がない。

「……分かりました」

 これ以上の事をわざわざフランドールお嬢様の口から言わせる必要はない。フ
ランドールお嬢様が主としてこの館を守る。館の外は少しの妖精に任せ、私に妖
精を率いて攻めよということだ。

「私は先代のメイド長が去ってから必死にその仕事を覚えてきました」

 私は手に持っていたトレイをテーブルに置いた。銀製の丸いそれはいつも私の
腕にあり決して重いわけではないが仕える者として主を支える物の1つ。先代の
ように私も自然な動きが出来ただろうか。

「慣れないことばかりでフランドールお嬢様には不自由だったかもしれません」

 腰に巻いた白く柔らかなフリルの付いたエプロンをゆっくりと外す。そのエプ
ロンが手から零れて床に落ちた。常に鮮やかな白であるように丁寧に洗い続けて
きた。従者とはいえ少しの汚れも許されない。従者の粗相は主の常日頃の品格が
問われてしまう。

「私の忠誠は今も昔も変わりません」

 頭の上につけていたカチューシャを外し、それもテーブルの上に置いた。紅く
長い髪をリボンで後ろに束ねた私の髪もフランドールお嬢様と同じように伸び続
けている。このリボンを解けば腰よりも下まで伸びているだろう。

「私、紅美鈴はメイド長を降り守矢へ攻め入ります」

 私にはとても重かったメイド長のエプロンとカチューシャ、そしてトレイ。こ
れらを手放す。肩の荷が降りるとはこういう事なのだろう。誰からでもない、自
分自身が勝手に与えた重圧。それは先代との差。私は少しでも彼女に近付けただ
ろうか。だが、それももうどうでもよい事だ。与えられた仕事を従者として全う
するだけだ。窓の外を見上げてみると“弾幕ごっこ”ではない光が舞っている。

 この空には“殺意と狂気”が飛び交っていた。